猫とバンタンとMBA

猫とバンタンとMBAについて。日々の徒然。

卒業おめでとう

娘はこの春中学を卒業する。

といっても中高一環高なので、4月からまた同じ学校、同じ友達とで高校生活をスタートするのだけど。でもひとまずは義務教育終了の一区切り。

生まれた時は2800gだった娘も、それなりに大きくなった。保育園から小学校、中学受験、中学校、イヤイヤ期も反抗期もなんとなく過ぎ(反抗期はまだ続いているが)、ここまで成長した。

今日、学校のクラスメイトど「打ち上げ」なるものがあるといって、母から2200円を貰って、出掛けていった。21:30になってもまだ帰ってこないが、イマドキの中学生はこんなものなのかな。私もそうだったのかな。

今日、その打ち上げ前に友達と会うという娘と、吉祥寺まで20分ほど歩きながら話をした。

以前から、子供は要らない、結婚もしないと言っている娘。こんな自分が親になるのが子供に悪い、親にああだのこうだの言われたくないだろうし、そんな親になりたくない、子供を可愛いと思えない、というのが理由。

私は娘を大事に育ててきたつもりだし、褒めて育てたつもりだけれども、彼女の自己肯定感の低さを知るにつけ、間違っていたのかもと、自分を責める。

娘は、親が子供に「大人になればわかること」をアドバイスすることが、親としては言わざる得ないこととわかりつつ、子供にとっては、それが意味をなさず、イライラの原因でしかない、という。わかっていても、嫌なんだと。言われてみれば、自分もそうだったんだろうが、私はそこまで親の気持ちなんか理解しようとしていなかった。ただ親を否定することで、自分を正当化していたと思う。娘の友達の多くがそうであるように。

思春期の子供が「親を嫌い」というのは、自分に自信が持てず、自己否定して、自分が何者かわからず不安で消えて無くなりそう、と思った時、そんな自分を作った親を否定することで、消えて無くなりそうな自分をなんとか支えているんじゃないかと思う。

親も人間で、機嫌の悪い時もあるし、完全な人格者でもない。でもそんな目で親を見られるようになるのは、そこそこ大人になってから。それまでは、親が完璧でないと思う時、そんな瞬間を見てしまうと、子供は親にたまらない嫌悪感を覚えるし、親を全否定したくなる。

私もそうだった。

娘は今日、「自分の80%はママで出来ている」と言っていた。私の影響を受け、ある意味支配されている自分が嫌なのと同時に、私のことを好きで、良き理解者であるとも思っているのだと思う。

親が嫌い、という友達の話を聞いて、娘は色んなことを考え、そして、母に支配されている自分に気がついたのかもしれない。

私も、今日気付かされた。自分と考え方が似ていて、笑いのツボも同じで、K-POPの話もできて、食べ物の趣味も同じ。一緒にいてこの上なく楽しくてラクな娘。そんな娘を私は期待して、作り上げてしまったのかもしれない。私の思うように。

だとしたら、私は娘から自立しないと。私が娘に依存して、こうなってほしいと強く望みすぎてしまって、娘はそうなっていく自分に気づき始めて、苦しんでいるのかもしれない。私の人生なんだ、ママのじゃない、と。

娘を私という呪縛から解放しなければ。好きなように、自分の道を歩いて行って貰いたいと、思っていたつもりなのに、実際には、ああせいこうせいと、口出しばかりしてきてしまった。

愛してやまない娘だが、もし彼女が私の望まないことをしたとしても、娘を応援できるだろうか。いいよ、と言って送り出せるだろうか。

私が、娘から自立しなくてはいけない。